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2018.01.24
スタッフのこと

昭和文学風に書き綴るバンデラスの日常

私が東京の地を踏んでから、早いものでもうひと月が経とうとしている。

大阪梅田から格安の深夜バスに乗り込み、エンジン音の揺りかごに包まれながら東京駅に着いたのがつい昨日のことのようだ。

東京駅はそれまでも何回か訪れたことがあるが、いまだにその全容を掴むことができない。中を歩く時も、自分が今どこにいるのかすらわからず、看板に導かれるばかりだ。そうするといつの間にか東京駅の外にある百貨店に入っていたりするから不思議である。駅のどこかに狸や妖怪の類がいるのかもしれない。

それにしてもこの街は人が多い。かつて私が暮らした京都や大阪の比ではなく、四方八方へと人の行き交う交差点に自らの身を投じるたびに、松任谷由実の「人混み〜に流されて〜」という歌声が耳の奥からこだまするのであった。

 

水戸にいる旧友を尋ねようと思ったのは出発の前日である。つまりは先週の金曜のことだ。彼が常陸にいるのはずいぶん前から知っていたが、なかなか尋ねる機会がなかった。というのも東京から水戸は近いようで遠いのである。片道で2千円もかかってしまう。往復で4千円。肉を焼いて満腹になれる金額と言えよう。

水戸では大した観光もできなかったが、偕楽園の中を散歩することはできた。驚いたのだがこの庭園はお金を払わずに入れるらしい。豪気なものである。と言っても梅の花で有名なこの庭のことだ。冬に行っても庭木の花はどこにも見つけることはできず、黒々とした幹がお菓子のかりんとうのようにうねっている様を眺めるしかできない。

 

そして水戸から帰ってきた頃に雪が降ってきた。東京ではめずらしいほどの大雪である。人の呟きを集約する電子の流れはそのことで埋め尽くされていた。電子の世界でも雪崩は起きるのかもしれない。慣れない雪に足を取られる人が多く、革靴を滑らせて転ぶ人も多く見かけられた。それを防ぐための多くの知恵もまた様々な場所から噴出しており、現代の良き面を垣間見た心地である。

 

会社からの帰り道には当たり前のように雪だるまが作られており、連綿と続く日本の伝統文化を感じることができた。あとはラフカディオハ-ンが雪女を語ってくれたならこれ以上は望むべくもない。しかし東京の雪は宴席に置かれたフライドポテトのように消えるのが早く、移ろう季節の風情を瞬く間に過去にしてしまう。桜は花びらを残すが雪は何も残さないのである。なにがしか残ったら残ったで困るのでありがたいとも言える。

さて、読者諸賢はお分かりかもしれないが、実はもう私には書くことがない。筆を運ばせるだけの口実がもう残っていないのである。文体を変えることでなんとかエンターテインメント性を持たせようとしたが、それもそろそろ限界にきている。そろそろこの文章の幕を下ろすのが良いと思う。

そういうわけでバンデラスであった。またどこかで。

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